ケーキ屋さんのショーケース写真はイメージです Photo:PIXTA

コロナ禍で経営が悪化し、会社を手放す決断をした老舗洋菓子店の経営者。M&Aを通じて“新しいスタート”を切るはずだった。しかし、譲渡の裏には、経営者を縛り続ける思いもよらぬ仕組みが潜んでいた。中小企業の事業承継に潜む“見えないリスク”を、現場の証言から追う。※本稿は、藤田知也『ルポ M&A仲介の罠』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。

都内3店舗に店を構える洋菓子会社の
売値は負債も含めて100万円

 東京都心の高層ビルが立ち並ぶ新宿駅西口にあるレンタルオフィスの応接スペース。瀟洒な家具が仕立てられた空間で、ある中小企業の譲渡に向けた「トップ面談」と呼ばれる場が設けられた。2023年4月4日の火曜日だった。

 売り手は、64歳の男性経営者。すぐそばの小田急百貨店新宿西口ハルクを含め、都内3店舗の喫茶店とケーキ工房からなる洋菓子店の運営会社を手放そうとしていた。負債があることも踏まえて、売値は100万円と評価された。

 M&A仲介業者の担当者から買い手の候補として引き合わせられたのは、東京・丸の内に本店を構える持ち株会社の役員だという数人の男女だった。

 経営者はその場で、相手から値踏みをされるものと身構えていた。自身も中小企業を買った経験があり、資料に載っていない債務はないかと、失礼でも念押ししておくのが作法だと思っていたからだ。

 ところが、そんな質問は出てこない。自分から「借り入れの説明は大丈夫?」と水を向けても、きょとんとしている。

 あれ、この人たちは事業経験があるのかな。そんな不安がわずかに芽生えた。