高校生たちはそれにありがたみを感じるのではなく、大人たちの「君たち、甲子園に行きたかったんだろう。今回は残念だけど、代わりに甲子園の土を送ってあげるね」という上から目線の押し付けがましさを感じ、なかには「こんなものいらないから、メルカリで処分しよう」と考えた者もいたのだろう。
すべての高校球児たちが
甲子園を目指すわけではない?
私の考えでは、ほとんどの高校球児は甲子園を目指していない。「甲子園」は基本的にグラウンドなどの設備が潤沢で、中学硬式クラブチームなどから有力選手を集めることができ、専門的な指導が受けられ、プロのように野球に専念できる私学強豪校に占有されている。勉強もしなければならない普通の高校生はまったく太刀打ちできない。
これは都市部ほど顕著な傾向であり、たとえば神奈川や愛知、大阪など180ほどのチームがある「激戦区」でも、夏の甲子園に出られるのは1校でしかない。「それでも公立で甲子園に出ている学校があるじゃないか!諦めるな!」と言われる。たしかに地方部ではギリギリ可能ではあるが、そういった公立校であっても野球専用グラウンドを持っていたり、野球推薦に近い抜け道を活用して有力選手を集めているケースが多い。
ほとんどの高校球児は仲間と楽しく野球をやりたいだけだが、大人たちや世間から「高校野球をやっているなら甲子園を目指しているんだろう」という強烈なまなざしを受けるため、「すべてをなげうって甲子園を目指す」という高校球児像をみなで演じ合っている。この矛盾が露呈したのが「甲子園の土メルカリ出品事件」だったと、私は考えている。
甲子園野球の「神聖さ」は、メディアによって長年かけて作り上げられてきた巨大な虚像である。野球好きの保護者たちは、我が子を甲子園に出場させたいがため、小中学生の早い段階から本格的な硬式野球クラブチームという「野球塾」的な場に通わせ、高校の強豪チームに送り出そうとする。
生徒不足などの難題を抱える私立高校は経営資源確保のため、野球で進学したい生徒を集めようとする。その両者をマッチングさせるべく、ブローカーが暗躍する。