私はそれまで少年文庫を編集している人がいるなんて、考えもしませんでした。びっくりして、自分がいかに岩波少年文庫が好きかを手紙に書いて朝日新聞気付でいぬいさんに出したのです。なにせ本は隅から隅まで、文字はひとつも残さず読んでいましたから、奥付の「乱丁本お取り換えします」も、岩波の住所も暗記していたぐらいです。
するとすぐ、いぬいさんから「いらっしゃい」とお返事をいただきました。そしていぬいさんがお仲間とやっている「いたどり」に誘ってくださり、参加することになりました。
「いたどり」の表紙には、井伏鱒二さんが描いてくださった「いたどり」の絵が載っていて感激しました。同人は私を入れて5人で、私以外は皆、教養ある30代。私が最年少。小娘の私はいつも、お姉さまたちが話す、ボーヴォワールだのサルトルだのという話を聞いていました。
『いやいやえん』は
子どもたちへのプレゼントだった
そのうち、私にも書く番が回ってきました。お姉さまたちが「保育園の子に聞かせるお話を書いたら」と助言してくれたのです。第一稿を書き上げたところ、「面白いけれど、これは生活記録だ」と言われました。どうしたら生活記録がお話になるか、何度も何度も書き直して、ようやくできあがったのが『いやいやえん』です。
「はるのはるこ先生」は天谷先生で、「なつのなつこ先生」は私で、「ちゅーりっぷほいくえん」はみどり保育園。お話は、保育園の子へのプレゼントのつもりでした。そして密かに私の保育理論のつもりもありました。
挿絵も描こうと思ったけれど、すでに精も根も尽き果ててしまって。どうしようかと思案していると、子ども部屋で机を並べている妹の百合子が絵を描いていました。百合子は6歳下で、このとき高校生。「挿絵を描いてくれない?」と言ったら、生意気にも「面白かったらね」という返事。
百合子は絵も好きですが、私以上に本が好き。私はご承知のようにくだらないものもたくさん読んでから岩波少年文庫にたどり着いたけれど、百合子は物心ついたときから岩波少年文庫。よいものばかり読んで育っている、純粋培養なんです。