そして、この状況が変わってきたのが1990年代だった。1990年にセンター試験の受験者数は40万人程度だったが、2000年になる頃には53万人を超え、約1.3倍に増えたのである。
この状況は、塾産業の発展をその原因の1つと考えることができる。現在でも続く大手塾「東進ハイスクール」は、1991年より全校舎を対象にした衛星授業「サテライブ」を開始している。
時代の流れで考えるとかなり早い段階から、現在のYouTubeのように「一流講師の授業を映像化し、全国へとそれを配信する」ということが可能になった。それまでの塾ビジネスでは、どうしても大きな校舎に腕のある「一流講師」を配置し、その講師から話を聞きたい生徒を集めるというモデルでしか運営ができなかった。
それが、どんなに小さな村にいたとしても、映像配信であればどんな時でもどこからでも授業を受けることができるようになった。こうした流れもあり、塾・予備校は地方にどんどん進出し、受験者数も増えていった。
新ジャンルの「受験モノ」が爆誕
触発され東大模試の受験者が急増
こうした流れの中で、「大学受験」というものが全国的に広まるようになった結果、「受験モノ」という新しい教育ドラマが生まれることになった。そのスタートとなったのが、「ドラゴン桜」だった。
このドラマは、フィクションであるにも拘らず、実社会にも大きな影響を与えたものだった。2005年11月に大手予備校が実施した東大模試の受験者数が前年比9~23.6%増になっていたことが2005年12月の読売新聞で報じられている。
この理由について、記事の中では関係者が『ドラゴン桜』について言及し、各予備校は本作品の影響を無視できないものとしていた。実際、2006年度東京大学の志願者数は前年と比較して前期で321人、後期で356人増えており、このドラマは実際に「東大に行きたい」という生徒を増やした作品だったと言える。
さて、「ドラゴン桜」がヒットした要因はなんだったのか。この1つには、先ほど述べた「地方と都会の格差」があったのではないかと感じる。