そもそも『ドラゴン桜』は、それまで甲子園モノを代表作としていた漫画家・三田紀房先生が作ったものだ。この三田先生は、岩手県の県立高校の出身であり、1浪して法政大学に入学している。
そんな三田先生がこの『ドラゴン桜』を作ったきっかけは、編集者・佐渡島庸平氏との出会いからだったとのこと。佐渡島氏は進学校として名高い兵庫の灘高校から東大に入学後、新卒で講談社に入社し、その最初の仕事が三田紀房先生の新連載を手伝うというものだった。
有名なエピソードを1つ紹介しよう。
『ドラゴン桜』の企画会議の折、三田先生は「学校再建モノ、その中でも受験をメインのテーマにした企画をやろうと思うのだが、どうか。例えば、東大受験とか」と佐渡島氏に相談した。
結果的にこれはすごく画期的で素晴らしいものだったわけだが、なんと佐渡島氏は最初「いや、あんまり面白くないと思いますよ。だって、東大って簡単だし」と述べた。
『東大は簡単』発言がきっかけ
受験の地域格差を象徴する物語に
驚きの発言であるが、佐渡島氏は灘高校から現役で東大に進学しており、受験で苦労して合格するという感覚ではなかったため、このように述べたと言われている。
その言葉に三田先生は、「いやいや何を言っているんだ。東大が簡単なわけはないだろう」と言った。が、それに対して佐渡島氏は「いやいや、東大の入試って理系だったらこういう裏技があって…」「そもそも東大の入試問題って教科書の内容しか出なくて、他の難関私大よりもこういう簡単さがあって…」と、自身の受験体験から来る「東大に合格するためのテクニック」を語り出した。
三田先生はそれを聞いて、「ちょっと待て、それって面白いんじゃないか?『東大は簡単だ』というキャッチコピーで行こう!」とアイデアを思い付いた結果、『ドラゴン桜』は誕生したとのことだった(実際、『ドラゴン桜』の1巻の表紙にも『東大は簡単だ!!』とある)。
このエピソード自体が、「地方と都会の格差」を象徴している面があると感じる。