……という話をすると決まって、「米は食料安全保障にも直結するものなので国が補助金などで支えるのが当然だ!」とか「補助金漬けどころか支援が少ないからコメ農業を志す人が減っているんだろ!」という痛烈なお叱りを頂戴するのだが、世界では「保護や補助金を受けるほど農業は衰退する」というのが常識だ。
わかりやすいのは、タイだ。
実はかの国はかつてコメ輸出量で「世界一」を誇り、タイ米はさまざまな国の市場を席巻した。しかし、今は競争力がかなり落ちて、インドやベトナムに抜かれてしまった。なぜかというと、政府の「保護政策と補助金」のせいだ。
今から34年前、日本経済新聞の「世界コメ市場に旋風タイ・ベトナム 規制外れた強み――高まる農民の生産意欲」によれば当時、タイを世界一のコメ王国にした最大の要因は「政府の管理はないに等しい」からだった。
20の大手輸出会社がタイの米の流通や輸出を一手に握っていて、政府は輸出関税も廃止した。その結果、輸出業者が農民から買い取る価格を高く維持して、農家の生産意欲を高めた。それぞれのプレイヤーが「企業努力」を突きつめた結果、タイ米の競争力を高めて、産業として大きく成長したのである。
そんな風に死に物狂いで競争力を高めてきたタイのコメ農業からすれば、「減反すると補助金がもらえる」という日本のコメ農業は「ぬるま湯」以外の何物でもない。当時、タイの大手輸出会社の会長は、日本の兼業農家だらけの現状と、手厚い補助金や保護をこんな風に揶揄していた。
「日本の農家はある意味でホビー(趣味)のようなもの」(日本経済新聞1991年7月16日)
しかし、驕れるものは久しからずでたくましく自由競争をしていたはずのタイのコメ農家にも、ほどなくして「保護政策と補助金」という“麻薬”が広まっていく。
2001年に政権をとったタクシン・シナワット元首相が「票田」となる農村を手厚く保護し始めたのだ。
どこかの国でも似た話があるが、与党は農村票欲しさで補助金のバラ撒きを加速させて、農業分野は改革ができない「聖域」になってしまう。さらにタクシン元首相の妹であるインラック・シナワット元首相が2011年、コメ担保融資政策でトドメを刺す。
「市場価格より5割高で政府が事実上買い上げたため価格高騰と品質低下を招き、輸出競争力を損ねた」(日本経済新聞2016年12月30日)
つまり、せっかく自由競争で頑張っていたコメ農家に、選挙対策から政治が関与を深め、いらぬ「保護政策」や「補助金」をばら撒いたおかげで、コメ農家に「企業努力」をする意欲をどんどん失わせてしまったのである。