コメ高騰を受けて今年の春、「きらぼし銀行」がベトナムの食品流通大手タンロングループの水田や精米工場を視察した。そこで担当者は精米工場の衛星管理の高さなどに驚き、こんな風に称賛したという。

「自動化のレベルは日本以上の水準といえるのでは」(NNA ASIA「越産コメ、日本のスーパーへ 『令和の米騒動』商機に」3月26日)

 このような形で世界のコメ農業に関わる人々は事業規模拡大・最新技術の活用・省人化などの企業努力をするのが常識だ。そして、「美味しくて買いやすいコメ」という競争力を高めているのだ。

 そこで消費者に選ばれたら、販路や取引先が拡大する。利益も増えるのでコメ農家も潤う。つまり、企業努力を重ねることで、産業として成立してその結果、農業の普及につながっていくのである。

 しかし、日本のJAやコメ農家からはそういう「企業努力」はほとんど感じられない。たとえば、今出回っている新米は昨年よりも増産されているので、企業努力をしているのなら価格は下げなくてはいけない。そうなっていないのは、JAが60kg3万円という過去に例のない概算金(正式な販売価格が決まる前の前渡金)をコメ農家に払ったからだ。

 政府が備蓄米を放出したので、その代わりになるコメを国に買い取ってもらわないといけない。そこを見据えて高く吊り上げている、というのが専門家の見立てだ。

 どういう狙いがあるにせよ、根っこにあるのは「公金を1円でも多く引き出して、米価を安定させる」という考えしかない。少なくとも「美味しくて買いやすいコメ」を消費者に届けて競争力を高めよう、なんて「企業努力」という視点は皆無だ。

 では、なぜそんなことになってしまったのかというと、「保護政策の副作用」である。本連載でも繰り返し指摘したが、日本では減反政策という社会主義も真っ青の生産調整を50年以上も続けてきた。その結果、補助金でどうにか農業を継続する小規模兼業農家を全国に増やし、競争力を激減させた。

 わかりやすく言えば、コメ農家をじゃぶじゃぶの“補助金漬け”にすることで、海外のコメ農家のように試行錯誤や投資をして、事業拡大をしていく力を奪ってしまったのである。