日本では目上の人を敬うのは当然とされており、儒教の影響のある国々でも常識(もちろんそれ以外の国々でも多かれ少なかれそうなのだけれども……)である。ただし「口答えしないように」とか、続く「好きなように言わせておけ」や「不愉快な言葉にも愛想よく対応せよ」には、多かれ少なかれ「尊敬」や「敬意」よりも「悪意」や「あきらめ」が読み取れる。

耐えられない上司なら
会社をやめたほうがまし

「どうしようもない年寄りには好きなように言わせておいて、適当に対応しておけ」ということだ。そしてそれが目上の人に対する「愛」であり、若者による年寄りの扱い方だということなのであろう。こうなるとどっちが大人なのかわからなくなってしまう。

「彼の心を静める治療薬となろう」というフレーズからは、「金持ち喧嘩せず」の原則を超えた、精神的な老人介護の意味があるかのようだ。

 若者の心が崩れてしまう原因が、その目上の人=会社の上司やコミュニティーの先輩にあることは容易に想像できることだ。たとえ強い心の持ち主であっても無理をしては心を病んでしまう。壊れてしまうのだ。まじめで正義感の強い人ほどそのような傾向がある。大学では卒業して次の春から新社会人となる教え子たちに、このアニの言葉を捧げたいと思う。そして心が本当に衰弱してしまう前に、そんな会社はやめてしまえと言いたい(そう簡単ではないことは承知しているが……)。生活の手段は他にもあるのだから。そしてその方が良い道であることもしばしばであるのだから。

アニの「良き言葉」に
素直に従えなかった息子

 アニは書記のなかでも下級の神殿付きの書記であったため、彼によるこの教訓は、比較的庶民に近い中流階級の下層にあった人々の道徳観・倫理観と受けとめることができるかもしれない。「ビールを飲みすぎるな」とか「貪欲になるな」などの一般常識的なものから、上司に対する接し方までが述べられている。すなわち日々の生活のなかで直面するさまざまな問題への対応策が示されるなかに、人々の道徳観・倫理観が見え隠れするのである。