医者向けのポータルサイトではこの件に関し、「だったら学校健診なんてやめてしまえよ」などと、ふてくされた声が多かった。

 実際に医師会では現在の健診項目の一部が「児童生徒や保護者の考え方、変化する社会情勢に必ずしも適応していない」から、「あり方について関係者と協議する」という考えが示されたようで、トラブルを防ぐために、本当に健診の方を一部やめそうである。やめれば「見落とし」もなくなるが、いかにも乱暴な解決法である。

子どもたちの健康より
現代の「正義」を優先すべきか?

 だいたい、医者の診察の多くは診療目的以外でやったら「セクハラ」とされても仕方がない行為だが、診察室の中でもそれを封じられたら仕事にならない。

 こうした行為をあえて忌避する、「患者への配慮」という現代の「正義」は、子供たちの健康を維持する学校健診の目的よりも優先するのだろうか。

 この例に限らず、一旦確立してしまった「正義」に異を唱えることは非常に難しい。

 以前、曽野綾子(編集部/小説家)さんは、公的な審議会の議論をすべて公開で行う方針を批判された。

「密室での議論は不可」と言っても、誰にも彼にも筒抜けの場では言いたいことも言えなくなるのは我々みんな知っている。なのに「透明性」が正義とされると議論の中身よりも優先するのである。曽野さんの抗議により「密室での議論」が復活したという話は聞かない。

アメリカでは診察記録の開示で
患者がパニックになることも

 アメリカでは、その「透明性」もしくは「情報開示」という錦の御旗のもと、患者が診療記録を直接閲覧できるようになり、担当医よりも早くCTのレポートや病理の診断を自分のスマホでチェックしてしまうという。

 多くのアンケートでこの開示は患者の支持を受け、「正義」となったが、テキサス大学教授のガーバー先生という方が立ち上がり、強く反対した。