両都市は歴史的に、協力関係というより、互いを警戒する「競争都市」として向かい合ってきた。
江戸時代までは大阪が「天下の台所」と呼ばれ、日本経済の中心であった。
明治維新以降、政治と行政が東京に集中し、金融・商社・報道機関・大学も次々と移転した。
戦後の高度成長期にはその流れが決定的となり、いまや大阪は「かつての産業拠点」でしかない。だが、大阪側にも「東京に奪われた」という被害意識が残り、東京側には「大阪はもう地方都市だ」という冷ややかな感覚がある。
この心理的な溝が、都市間連携を妨げてきた最大の要因となっている。
「都市連携」を阻む
両都市の複雑な関係
政治の面でも、東京と大阪は反対方向を向いている。
東京は小池百合子都知事のもと、国との調整を重んじる官僚型の行政運営を続けている。一方、大阪は日本維新の会が主導し、「東京一極集中を打破する」「地方分権を実現する」と主張して、潜在的に東京に対抗する政策をとってきた。
維新にとって東京は、克服すべき対象であって協力相手ではない。小池都知事が「大都市連合」を呼びかけても、維新側がそれに乗ることは難しい。
これは大阪にとって東京主導の枠組みに入ることが、維新の存在理由と背反するからにほかならない。
加えて、両都市の行政文化もまったく異なる。
東京は調整型で、国との協調を重視する。大阪は改革型で、国に依存せず、地方知事を強化して地方の権限を強化して民間主導を強めようとしてきた。
いわば「官僚主義の東京」と「運動政治の大阪」という構図があり、この立場の違いが協力関係を難しくしてきた。
そもそもこの「副首都構想」は、維新がこれまで掲げてきた「大阪都構想」が実現することが前提になっており、いわば「反東京政策(都構想)」と「親東京政策(副首都構想)」が一緒になっており、政策的な整合性を欠いている。
同じ日本を代表する大都市でありながら、これほど互いに異なる文化と政治スタイルを持っていることを前提に、大阪は未来のための構想を考えるべきである。