都構想と副首都構想
それぞれの本質的な誤り
維新が長年掲げてきた都構想と、今回の副首都構想は、いずれもこの東京依存構造から脱するための試みである。
ただし、両者には本質的な誤りがある。
まず都構想は、国が主導する首都機能の分散である。中央省庁や国会、官邸の一部を大阪に移し、災害時に代替拠点として機能させようというものだ。
一見、リスク分散と地方振興を両立するように見えるが、実際には行政の一体性を損ない、省庁間のセクショナリズム(縄張り意識)を増長するだけになりかねない。
東京と大阪が協力関係にあるのであれば大きな問題はないが、大阪はあくまで「大阪の中央からの独立」を目指しているのだから、首都機能の一部を移してそのまま「断絶」されてしまえば、国家機能にゆがみが生じかねない。
実際、文化庁の京都移転や消費者庁の徳島移転は、東京との調整コストを増やし、職員の士気を下げる結果に終わっていることがはっきりしている。省庁が地理的に分かれれば分かれるほど情報共有が困難になりがちだ。
それどころか、上述したように首都機能の分散は「うちはうち」「よそはよそ」の感情を強めがちだ。行政の効率を上げるどころか、むしろ機能を分断して非効率化してしまうのである。
副首都構想は大阪府と大阪市が主導する都市開発の構想であるが、梅田・中之島・なんば・夢洲など大阪の重要拠点を再開発し、経済と文化の多極化を進めるというものだ。
これは国の機能分散とは関係がなく、大阪自身の都市再生計画に過ぎない。
つまり、「東京への対抗心」が残ったまま「東京との協力」が強いられるわけで、そこには統一的な都市構想など微塵もないのである。
副首都構想をやるのなら、「東京に並ぶ都市になる」という発想を捨て、「東京の補完都市になる」という割り切りが必要なはずだが、おそらくその気はないだろう。
語弊を恐れず言えば、副首都構想とは「東京の縮小コピー」になることである。江戸時代まで「日本一の産業都市」であった歴史的プライドをもつ大阪が、そんな矮小な存在になることを許容できるのだろうか。
副首都構想が「大阪の歴史的プライド」を取り戻すためだとしたら、方法が適切ではないだろう。