野党の顔となった日本維新の会が、令和版「昭和維新」を目指しかねない不安大阪の流れをくむ維新の議員が京都で誕生したことは、何を暗示していたのか(写真はイメージです) Photo:PIXTA

大阪と仲が良くない京都で
維新議員が誕生した驚き

 私は京都人です。1980年から横浜市に住んでいるので、横浜暮らしのほうが長いのですが、いまだに高校野球は京都の高校を応援します。そんな京都人がびっくりしたのが、京都で日本維新の会の国会議員が誕生したことでした。

 正直、京都人と大阪人は仲がいいとはいえません。京都人は大阪人を庶民的だと思い、大阪人は京都人をお高くとまっていると考えています。だから、「大阪ナショナリズム」ともいうべき大阪維新の流れを組む日本維新の会の国会議員が京都で誕生するとは、夢にも思っていませんでした。

 そして、同時にこうも思いました。京都で当選するなら、日本維新の会は東京も制覇するかもしれない。つまり、政権政党になりうるかもしれないと。

 私は大阪維新という政党ができたとき、ちょっと面白いなと思っていました。関西人は東京嫌いです。京都で共産党が強いのも、「反東京=反自民」という心情があるからだと思います。またドイツでは、同じキリスト教系の保守政党でも、キリスト教民主同盟とキリスト教社会同盟というように、仲の悪いプロイセン地域とバイエルン地域で別の二つの政党が生まれ、連合して政権運営をしていたことがありました。あんな風に地域政党の連合体になったほうが、自民党の中央集権的体質が変わる、そんな風に考えたからです。

 しかし、大阪維新はともかく、日本の維新を唱えるには、彼らの政策は新味もなく、ただ過激な言葉が並んでいるにすぎないように見えます。

 私には彼らが掲げる「維新」という言葉が、日本を西欧の植民地化から救い、徹底的な封建制度の廃止と近代化への道をつくった「明治維新」を目指すものなのか、大陸侵略で行き詰まったあとの愛国主義(ヘイト)に凝り固まった「昭和維新」を目指しているのか、わからなくなってきました。

 確かに明治維新には、市民革命などではなく、薩摩や長州など、関ヶ原の合戦に敗れた雄藩による江戸幕府の打倒、武力革命という側面がありました。関西・大阪という地域で、かつての藩主に近い知事や市長中心の政党が東京から政権を奪取するなら、新しい日本をつくる、明治維新に近い「革命」ということになります。

 しかし、明治維新との整合性は、これくらいしか見つからないのです。一方、昭和維新との整合性はどうでしょうか。昭和維新といってもピンとこない読者も多いでしょう。日本が満州事変から日中戦争へと大陸に引きずり込まれ、経済は疲弊し、政党政治が混乱している時期、陸軍や海軍の一部の「改革派」が唱えたのが「昭和維新」でした。