2024年10月の衆院選の与党惨敗で少数与党政権に転落した首相、石破茂を巡っては「年内持つかどうか分からない」(自民党非主流派幹部)との臆測が消えなかったが、何とか年を越した。しかし、25年の新年を迎えても少数与党という厳しい現実は少しも変わらない。しかも石破の前には7月の参院選など高いハードルが幾つも立ちはだかる。それでも石破の政権担当意欲は全く衰えるところがない。就任当初は石破に冷ややかな視線を注いできた自民党職員の間でも評価が変わりつつある。
「石破さんが踏ん張ってくれたおかげで25年度予算の編成にタッチすることができた」
過去2度の野党転落を経験したベテラン党職員の発言には実感がこもる。
「年末の党本部に人の出入りがなく、閑古鳥が鳴いた時ほどつらく寂しい思いをした時はなかった」
さらに衆参の予算委員会で示した答弁能力の高さも安心感を与える要因となった。もっともその能弁ぶりもSNSでは「石破構文」とやゆされる。言い方が回りくどく、結論が曖昧というのがその理由だ。ともあれ少数与党で臨時国会を乗り切った意味は大きい。
石破も少しだけ余裕が出たのか、12月22日には久しぶりにJR飯田橋駅近くのキリスト教(プロテスタント)・富士見町教会を訪れ、クリスマス礼拝に参加した。石破の母方の曽祖父に当たる金森通倫は明治時代初頭に熊本洋学校に学び、徳富蘇峰らと共に同志社の創設者、新島襄に師事した「熊本バンド」のメンバーの一人。石破も母親の影響を受けた敬虔なクリスチャンとして知られる。