ところが昨年、その議論に新たな息吹を吹き込むことになる重要資料が見つかった。
8月放送の「“一億特攻”への道」(編集部注/『NHKスペシャル』、2024年8月17日放送)に向けて、東京・竹橋にある国立公文書館で、特攻関連の資料を総ざらいしていた時のことだった。国立公文書館の重要資料は、普段はつくば市にある分館の書庫に納められているため、申請を出して取り寄せてもらい、竹橋の本館にある閲覧室で目を通すことになる。そうして目を通した資料のなかに、1冊の分厚い冊子があった。
タイトルは「中央・戦没者ノ件報告 特攻隊(志願)」。2012年に公開された資料で、めくってみると名簿の束が綴じ込まれていた。
特攻が始まった直後の昭和19年11月から12月にかけて、海軍が全国各地の航空隊に特攻隊員の志願を募らせ、その結果を、当時霞が関にあった海軍省の人事局宛に提出させた「志願者名簿」だった。そうした志願調査が行われたことはさまざまな証言で知っていたが、裏付ける資料を見るのは初めてだった。
例えば最初の「高雄海軍航空隊」の束を見てみる。台湾の高雄に当時あった練習航空隊だ。
昭和19年11月16日に提出されたとあるその資料には、「希望程度」「人物総評」「機種別」「等級」「電報符号」「氏名」「家庭状況」という欄が設けられ、ひとりひとりについて詳細な情報が記されていた。
同書より転載
1枚1枚手繰るうちに、この時の「志願調査」について、ひとりの元搭乗員が話を聞かせてくれた時の記憶がよみがえってきた。「元山航空隊」に所属していた土方敏夫さん。2010年のことだった。敏夫さんは長男で、姉がひとり、妹弟がひとりずついた。数学の教師になるという夢を持ち、豊島師範学校(現・東京学芸大学)を卒業し、東京物理学校(現・東京理科大学)で学んでいた。そのさなかの昭和18年8月、「海軍予備学生(編集部注/旧日本海軍が大学など高等教育を受ける学生から搭乗員を養成するために設立した制度)」の13期生に志願して合格し、9月30日に入隊した。
土方さんは、茨城県にある土浦航空隊で「カッター(ボート漕ぎ)」「手旗」「電信(モールス信号)」など海軍軍人としての基本技能や、数学・気象学・物理学などの座学を2か月間で叩き込まれたのち、羽田空港を拠点とする航空隊で4か月にわたり基礎的な飛行訓練を受けた。







