指揮者、クラリネット奏者の朝比奈千足(ちたる)、チェロ奏者の河野文昭、テノール歌手の高丈二がOBだ。
フルート奏者で東京芸術大教授の金昌国は、22年7月に死去した。
マリンバ奏者の名倉誠人は、欧米、南米など世界各地で演奏会を開き、高い評価を受けている。英国王立音楽院栄誉会員になっている。
東京音楽学校(現東京芸術大学)に進学して学徒出陣し、終戦を知らないままフィリピンで1945年8月に自決した村野弘二(当時22歳)という作曲家がいた。村野が残した幻のオペラ楽譜『白狐』とレコードが、2015年になって見つかった。
高嶋弘之は音楽プロデューサーだ。東芝レコード事業部(のちの東芝EMI)に入社し、「ビートルズの日本での仕掛人」として知られる。兄が前述の高嶋忠夫で、次女はバイオリン奏者でタレントの高嶋ちさ子(桐朋女子高校音楽科卒)だ。
兵庫県内で2番目の
創立となった背景
神戸高校の創立は、旧制の男子中学であった兵庫県神戸尋常中学が設立された1896年だ。県立第一神戸高等女学校の前身が開校されたのは1901年で、両校は戦後の学制改革で統合され、新制神戸高校として男女共学になった。
1896年には、すでに姫路中(現姫路西高校)が創立(1878年)されており、神戸中学は豊岡中(現豊岡高校)と並んで兵庫県下では2番目の創立だった。
江戸時代から明治時代初期・中期に至るまで兵庫県内で最も栄えていた都市は、姫路だった。国宝・姫路城の存在がそれを物語っている。対して神戸はもともと寒村で、幕末・明治維新になってやっと開けたという背景がある。ただし、兵庫県の県庁は姫路ではなく、神戸に置かれた。
神戸高校のキャンパスは神戸市の東部にある摩耶山の山麓(さんろく)にある。ロンドン塔と称される塔屋、西洋の城砦(じょうさい)風の外観は、英国のパブリックスクールに範をとった建物だ。モダンゴシック様式の校舎は改築されてはいるが、本館の象徴的な部分は残されている。
1907年に県立第一神戸中学校と改称された。それ以降、「神戸一中」という略称で、神戸市民に親しまれてきた。ただしこの場合、「神戸二中」は現在の兵庫高校、「神戸三中」は現在の長田高校であり、ナンバーはあくまで、神戸市内に限っての話だった。神戸一中が、兵庫県内で最初にできた旧制中学ならば、「兵庫一中」となるべきだったが、そうはなっていない。







