かつては終身雇用の会社や、血縁、地縁のある地域の強固なつながりのなかで自然に助け合っていましたが、現代はそのつながりは薄れて、個々が自分で頼れる人やコミュニティを見つけて、関係を築いていく時代になっています。

 だからこそ、仕事仲間はもちろん、趣味の仲間、地域の仲間など、ゆるくつながる“同志”のような存在が必要だと感じます。「属するものがない」ということは、自由で束縛されないぶん、危うさも併せもっていますから。

 私は長い間、なににも属さず、1人で仕事をしてきました。

 長年にわたって一緒に仕事をしている編集者、営業担当者は、まさに大切な同志。

 互いの性質や価値観を理解して、意見を言い合えるし、至らない部分をフォローしてもらえます。信頼関係があるから、甘えさせてもらえるのです。

肩書を超えたつき合いは
強固なつながりを生む

 1年半ほど前から、ある女性に秘書業務をお願いするようになりました。

 彼女は私の苦手な事務作業をやってくれることもありますが、いちばんありがたく、心強いと感じるのは、仕事で嬉しいことがあったら自分のことのように喜んでくれたり、私が理不尽な目にあったら一緒に怒ったりしてくれること。同じ方向を見たり、見守ったりしてくれる存在がいるだけで、精神的に支えてもらえるのです。

 20年以上、ゆるく交流を続けている海外在住ライターのコミュニティも、互いの仕事や家庭、親や夫の死別などの歴史を知っていて、遠い親戚のような存在。

 ほかにもオンライン歌会の仲間、卓球仲間、月イチでホームパーティをする仲間など“仲間”といえる集まりがあると、単純に楽しく、なにかと頼りになるものです。

 1対1のつながりは1本の糸のように、なにかあると簡単に切れてしまいますが、複数人のグループは蜘蛛の巣の糸のような状態で、なかなか切れません。ときどき離れても、また帰ってくることができるので、意外に長く続くのです。

 昨今は、若者や女性が集まる地域のスナックが人気と聞きます。