一方、なかには「誘うような派手な服装をしていた被害者にも非がある」と述べる場合もあります。これもある意味で、性欲原因論に根差した考え方です。

 父親と母親で、これほどまでに事件の捉え方が異なってしまっては、グループ内で打ち解けにくくなり、お互いの体験や気持ちを共有することが難しくなってしまいます。

 かつては「母親の会」と「妻の会」も合同で開催していたのですが、これも現在は分かれています。

 加害者である夫はいってみれば他人です。妻には離婚によって加害者である夫と縁を切るという選択肢がありますが、親にはそのような選択肢はないからです。

 このように、置かれている立場の違いでグループを分けることで参加者の定着率が上がり、会全体の安定感が出てきました。

父親は妻の前では
性的なことを語れない

 父親特有の課題として、多くの父親が妻(加害当事者の母親)の前で、性に対する意識について言葉にすることが困難な傾向があります。そのため、父親と母親が一緒に家族会を行っていたときには、ミーティングで一言も話さずに帰る父親がほとんどでした。

 さらに夫婦関係の不和などの家庭内の問題と、加害者本人の問題行動が深く関連している場合、父親と母親が同じグループにいては、率直な話し合いができないという現実もあります。

 加えて、父親は加害者本人の立ち直りはもとより、「親である自分自身も変わらなければいけない」という変化の必要性を認めることが難しい傾向があります。

 対して、母親は変化に比較的柔軟に対応できる方が多く、また家族会で多くの仲間と横のつながりをつくることができます。そうしている間に、夫は妻の変化についていけず脱落してしまうケースがこれまで多く見られました。

 グループを分けることで、徐々に「父親の会」の定着率が上がり、現在では毎回10人前後の固定参加者がいます。

母親の会は交流が活発だが
父親の会はみな口を閉ざす

 家族会で特徴的なのは、母親と父親の語りの「質」の違いです。