「仲居の担当制」が生む感動体験
私が経営する伊豆・稲取温泉の旅館「浜の湯」では、今も昔ながらの「仲居による完全担当制」と「料理の一品出し・部屋出し」を守り続けています。お客さまの到着からお見送りまで、ひとりの仲居が責任をもって担当し、夕食も朝食もお部屋で提供しています。ふすまを開ける所作や着物の袖のさばき、座敷での立ち居振る舞い――その全てが日本文化そのものです。
この文化を最も感動的に受け止めてくださるのが、実は外国人のお客さまです。欧米の方もアジアの方も、「こんな体験は初めてだ」と驚かれます。お部屋に料理を一品ずつ丁寧に運び、和の所作で提供する。その姿勢の中に、日本人が長年育んできた「おもてなしの心」が息づいているからです。
お見送りでは、「浜の湯に泊まって、日本旅行で最も求めていた“本物の日本文化”を知ることができた」と皆さん口をそろえます。そうしてリピーターになって、さらにお知り合いにうちの旅館を勧めてくださいます。
おかげさまで、予約サイトなどの口コミで高評価をいただき、客室稼働率9割を維持しています。日本人のお客さまも、「日本文化を再発見した」などと満足してくださいます。
「金太郎あめ」の温泉地を増殖してはいけない
食事は外で自由に取りたいという意見もありますが、そういう方々は「本来の旅館の価値」をまだご存じないのだと思います。仲居の担当制で一品ずつ部屋出しされる食事は、単なる「食事提供」ではなく、「旅の体験」そのものです。そこには、人と人との心の触れ合いがあり、旅の記憶として深く残ります。
そのスタイルが失われてしまえば、どの宿に泊まっても同じという時代になるでしょう。いわば個性も特徴もない「金太郎あめ」のような温泉地が全国で増殖されるだけです。
地方の小規模旅館こそ、生き残るためには独自の料理や接客で個性を発揮すべきです。旅館の個性に惹かれたお客さまが、その宿をリピートしてくれるようになる。泊食分離は、その個性を自ら放棄する行為に他なりません。







