私も何度か遊びに行った。
最後に訪れた時、20年以上前に勤めていた通信社で一緒だった元同僚と12年ぶりに再会した。
メキシコシティ出身で、当時は、ラテンアメリカのニュースを担当するデスクにいた。ホームタウンに戻り、通信社の支局で働くうちに、アメリカ人男性と出会って結婚し、子どもを産んで、今は競合の通信社でデスクをやっている。
再会の夜、彼女のパートナーとともに3人で何杯飲んだろう。レストランで待ち合わせてご飯を食べ、彼女の家の屋上でテキーラを啜りながらメキシコシティの街を眺めた。
最後の店で、すっかりできあがった彼女が言った。「シングルで、良い給料をもらって、毎晩夜遊びして、何時間か寝て仕事に行って、でも本当に楽しかった。今はまったく違う人生を送ってる。I miss it(恋しい)」。
今、彼女はすごく幸せそうだ。それでも、しぶしぶニューヨークを離れた彼女にとって、ニューヨークで過ごした若き日は、永遠に色あせないゴールデンな思い出なのだ。
そして「あの時ニューヨークを離れなかったら」と時に考えたりするという。
コロナ禍の影響で
ついに街から離れることに
自分にも「ニューヨークになんとかして残ること」が人生の最優先課題だったことがあった。
彼女と知り合ったのは、ニューヨークにずっといるのかどうかわからなかった頃だ。
おまけに、「間違った場所に来てしまった」という思いを抱えながら、ビザと経験のために大嫌いな職場に毎日通い、仕事が終わるとお酒をあおった。だから、彼女とは違い、あの頃を思い出すと「苦しかったなあ」と思う。
20代のひよっこだった自分とニューヨークとの関係は、手の届かないいい男への片思いみたいな感じだったのだ。
その後、会社を辞めることができ、永住権を与えられ、自分に合っていると思える仕事が少しずつ増えるにつれて、私のニューヨーク生活は、倍速で楽になっていった。下町に引っ越し、市民運動やコミュニティとの関わりができて自分もこの街の一員なのだと思えるようになった。
私が引いたのは、そういう札だった。







