実際それはそうだろう。お金はかかるし、競争も激しい。私もひーひー言いながら、振り落とされないように必死でしがみついていた時代があった。

 それが自分のホームになったのは、拝金主義の対極にある場所に「地元」と思えるだけのコミュニティを発見し、自分はここにいていいのだ、という「sense of belonging(帰属意識)」を持つことができたから。

 そして、自分はこのままでいいのだ、と思わせてもらうことができたから。

助け合いの精神を持つ
ニューヨーカーに救われた

 日本ではなぜか悪目立ちしてしまう自分だったけれど、ニューヨークの基準で言ったらずいぶん凡庸だった。

 けれど自分がコンプレックスや弱点に感じてきた造作や気質は「個性」や「チャーム」として褒められたし、自分を卑下しないニューヨークの人たちの自信はセクシーだった。

 決して高いと言えない家賃で、ブルックリンのアパートと山の家を貸してくれてきた大家さんたち、ピンチになると助けに来てくれる友人やご近所さんたち、いつもおまけをしてくれる車のメカニックさん、今となっては時に長電話をするような友達になった管理人のマーヴ、そういった天使たちが私の生活を豊かなものにしてくれている。

 こういう人たちがいなかったら、大怪我や大病を乗り越えることはできなかっただろうし、拝金主義に屈しない生き方があるのだと教わってきた。

 彼らに共通するのは、助け合いやおすそわけの精神だったり、出し惜しみしない愛情表現だった。

 この街で形成されたのは、人間性だけではない。自分が世界を見る眼差しはこの街で手に入れた、鍛えられたものでもある。

 移民の自分でも声をあげていいということ、財布(消費行動)を投票に使うことができること、災害が起きた時には住民たちの団結が頼りになることを教えられた。

 テロが起きたあと、または、市が大企業を誘致すると決めた時、警察が、路上で商売する人たち、肌の色が黒かったり茶色かったり、ジェンダーが一見わかりにくい人たちを抑圧する姿を目にしたことは、権力や人権についての考えを形成した。