彼女と再会してしばらく経った頃、パンデミックが起きて、私は、「山の家」と呼んでいた市外の山小屋に避難し、後にパートナーになる人と、1年半暮らすことになった。

 ニューヨークの街は、驚くべき団結力を発揮してパンデミックのクライシスを乗り越えた。美しく強い、旧知の間柄のようなニューヨークを私は、少し遠くから見ていた。

 いつまたニューヨークシティに戻るのか、その日が来るのかも、わからないままだったから、ついにニューヨークを離れる札が自分のところにまわってきたかな、と考えたりもした。

 さらにその後、大家さんである“おねえちゃん”夫婦が山小屋を手放すことを決め、そのタイミングで、パートナーが親の介護をするためにモンタナに引っ越すというので、悩んだ末、一度は私もそれに付き合おうと決めた。保守州に住んでみる、という冒険も悪くないと思ったのだ。

街の風景はどんどん変わるけど
人のあたたかさは変わらない

 ところが、うまく駒が揃わなくて途中で引っ越しを断念し、結局のところ、私たちはニューヨークシティに戻ることになった。

 なかば消極的な理由で舞い戻ったニューヨークを、今また新しい気持ちで見ている。

 高級化も、過剰な開発も、しんどいなあと思う一方で、どんどんできる新しい場所の中に、昔と変わらぬ姿で、同じ値段でサービスを提供する場所がある。そうした場所のおかげで、私たちは生きることができている。

 こんな住みづらい街になっても、ともに年を取ってきた仲間たちがいるし、外からやってくる若い人たちは途切れず、暮らしの工夫や新しい闘い方を見せてくれる。

 ニューヨークに苦戦していた若い頃、「年を取ったらしんどい場所になるだろうな」と思っていたが、意外とそうでもないのは、街が優しくなったからだろうか。ずっとこの街にいるシニアたちが、かっこいい年の取り方を見せてくれるからかもしれない。

 イーストリバーに太陽が沈む時に赤いグラデーションに染まる空を見ると、また最初から恋に落ちるような気持ちになる。私のニューヨークへの恋は、 いまだに終わっていないのだ。