彼は6月にオーナーに昇格していたが、球団では変わらず社長業務を続けていたので、「社長」と私は呼び続けていた。東大文学部卒の彼は私の4つ年上で、私が社会部の筆頭次長だったころに、彼が社会部長という間柄で、そこから付き合いが深まっている。
メガネをかけ、地味な背広のポケットに書類やハンカチ、時には文庫本を詰め込んで膨らませ、背中を丸めて歩いていた。猫背気味の細い体が目に浮かんだ。電話口から絞り出すような小さな声が響いた。
「もうやっていられない。俺は辞表出すよ」
私は仰天した。温厚で一言多い冗談も放つ彼からそんな声を聞くとは思っていなかったのだ。
渡邉への抗議の意味を込め、「私も辞めますから」と漏らすと、電話の向こうから小さな声が再び聞こえた。
「申し訳ない」
翌6日。東京中日スポーツには、渡邉の「報告聞いてない」発言をとらえて、「コーチ人事は差し戻し」という趣旨の記事が掲載されていた。コーチ人事をめぐる混乱は覆い隠すことができなかった。
その日の夕方、桃井に電話を入れると、どうも様子が変だ。風向きが変わったのか。彼は渡邉から電話をもらい、話をしたという。
「あす(7日)本社に来い、と言うんだよ。君は来なくていい」
「辞表はどうすればいいんですか。桃井さんはいきなり(渡邉)会長に叩きつけるんですか」
私は先回りして言った。「俺は辞表を出す」というのだから、本社の主筆室で渡すのだろうか。私の辞表はずいぶん前から球団事務所の机の中にしまっていた。それをどこで出せばいいのか、と思ったのだ。後で考えると、実に間が抜けている。
桃井は、「うーん」と煮え切らなかった。
「会長も休みの間に冷静になるだろうしなあ」
電話を切って、初めて私は疑いを持った。桃井は渡邉から電話をもらって辞任する気が失せたのではないだろうか、と。
育成に貢献した岡崎を外し
江川がヘッドコーチに?
落ち着かない日曜日が明けた。渡邉から呼ばれた桃井は7日午後に球団事務所に戻ってきた。







