それから寝かせること約1年。2003年の12月に入った頃、満を持してメールを書いた。もちろんこの書き出しは、いつか送ってみたかった念願の文章だ。
突然のメールで失礼いたします。同姓同名の田中宏和と申します。
なにしろ先方は自分と同じ名前の人からのメールを受信するのだから、迷惑メールと思われて当然。不審者と思われることを前提にしながら不気味に思われないようにと、丁寧さの加減を調整して書き上げ、何度も読み返して、強めに送信ボタンを押す。
ついに一線を越えた。
この田中宏和さんが極悪非道な凶悪犯だったらどうする、実は悪徳商法の担い手で高価で怪しい健康食品や開運グッズを買ってくれと言われたら断りきれるのか、さらにやばい新興宗教に勧誘されたらどうする、それこそ借金を頼まれたら?いやこの同姓同名で会うこと自体がどうかしてるんだぞ自分は、などなど。
とめどない妄想を巡らし待つこと数時間。返信が来た。
ついに対面!同じ名前が
書かれた名刺を交換する
いざ2003年12月の約束の日がやってきた。やはり自分1人だと心細いので、「ほぼ日」(編集部注/コピーライターの糸井重里氏が主宰するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の略称)の担当者に記録係で同行してもらった。
渋谷にある他人の田中宏和さんのオフィスの呼び出しベルを鳴らす。「田中宏和です」と名乗る。迎え入れられた後、初対面のビジネスマンなら取る行動は1つ。
「田中宏和です」と名乗り、名刺を差し出す、わたし。
「田中宏和です」と名乗り、名刺を差し向ける、お相手。
名刺を交換しながら、思わず2人とも笑った。
名刺と顔を見返しつつ、きょとんとする他無い。確かに名刺には「田中宏和」と印刷されている。ひょっとして自分は、この名刺に記載された「有限会社マグネットインダストリーの社長の田中宏和」なのではないかという気がしてくる。何だか合わせ鏡の向こうにいるもう1人の自分と対話しているみたいだ。この名刺の肩書きで生きている自分をリアルに想像できるのである。
名前が同じというだけなのに。その後も同姓同名の名刺交換の時には必ず笑う。「この他人の名刺が自分の名刺に見えてきて」と必ず言う。名刺が日本の社会的立場を公に示すツールだからこそ、そんな混乱に襲われるのではないか。まるで名刺と一緒に人生を交換したかのような気分になるのである。







