初めて会った田中宏和は
生き別れた双子のようだった

 思い入れなく決めた最初のあだ名であった。しかしその15年後に、同行の担当者は渋谷区のコミュニティラジオ「渋谷のラジオ」で制作部長になり、この初対面の2人がパーソナリティで『渋谷の田中宏和』というレギュラー番組をはじめることになるとは想像もつかなかった。

 田中宏和が田中宏和と出会った時、わたしは「ほぼ幹事の田中宏和」として生まれ変わり、そのまま、20年以上の月日が過ぎた。

『全員タナカヒロカズ』書影『全員タナカヒロカズ』(田中宏和、新潮社)

 今や30年を超える歴史を持つ事業として、われわれの活動を俯瞰して見た場合、この1人が2人になった事実の重みがわかる。最初に出会った田中宏和さん。この良きパートナーとの出会い、コラボレーションの組み合わせが見つかったから、今のタナカヒロカズの会があるのだ。

 この初対面の時のことを、この「渋谷の田中宏和」さんは、「生まれてすぐに生き別れた双子に会ったようだった」と言い表した。ことコミュニティ形成にとっては、1人が2人になることがすべてのはじまりなのだ。

 2004年の田中宏和同姓同名年賀状は、当然この運命的な出会いの報告となった。以降、年賀状には毎年新しい田中宏和さんの顔が登場することになる。