田中宏和でバスを貸し切りたい。そして、田中宏和で旅館を貸し切りたい。つまり田中宏和だけの団体ツアー!

 組織的な目標としては、1人でも多く世界に田中宏和を増やしていくこと。

 田中姓のお宅に男の子が産まれたら、名前は「宏和」でお願いしますと、田中宏和普及、繁殖活動を続ける。

 世界が田中宏和だけになったらSF的ディストピアである。ありえない世界征服の共謀者を目の前にして話しているような気がする。

 田中宏和は固有名でなくなる。では何と呼ぶ?

 話題が湯水のごとくあふれ出る、この快活な盛り上がりは何だ。

 しかし、この妄想はフィクションで終わることなく、2009年に田中宏和バスツアーは実現し、2014年に「一般社団法人田中宏和の会」を設立することになる。世界中の自己啓発本にだいたい共通する、「強い思いは現実になる」である。

田中宏和同士は名前を
どう呼び合ったらいいのか

 それにしても気になって仕方ないのは、目の前の人のことを互いにどう呼び合うかだ。

「田中さん」では、わたしも「田中さん」だ。「田中宏和さん」だと、わたしも「田中宏和さん」だ。

 同姓同名で向かいあうがゆえ、自分の名前が固有名として機能しなくなる。自分だけを指し示すためだったはずの名前が、自分の1人の名前では無くなるからである。自分から名前をもぎ取られるような体験なのだ。

 一方で、自分の名前、わたしたちの名前に、別の名前をつけないことには、今後の会話やメールのやり取りが成り立たないことに気づく。田中宏和同士のための呼び名、つまりメタ名前(ネーム)が必要だ。つまり、田中宏和だけの世界におけるあだ名だ。

「渋谷で会社経営で、渋谷にお住まいなんですか?」

「はい」

「で、渋谷で生まれ育った?」

「まぁ、そうですね」

「では、これから『渋谷の田中宏和さん』とお呼びするのはどうでしょう?実は、わたしも今は渋谷区に住んではいるのですが」

「あ、いいですよ。で、こちらは何とお呼びすればいいですか?言い出しっぺだから『幹事の田中宏和さん』とかどうですか?」

「『ほぼ日』きっかけでの出会いですから、『ほぼ幹事の田中宏和』くらいでどうでしょう?幹事持ち回り制にしてもいいように」