渥美清が山田洋次を指名
「男はつらいよ」の誕生秘話

山田 つまりそれはね、ワンシーンの特別出演ではなくて、映画1本丸ごと、主演で、という意味なんです。そんなやりとりがあってからしばらくしてフジテレビのプロデューサーから、「渥美清主演シリーズを作るから脚本を書いてくれ」と言われたんです。「ああ、渥美さんのご指名だ」と感じましたね。渥美さんが、「彼に書かせたらどうだ」と言ったんじゃないのかな。あくまで想像だけど。

黒柳 そうだったのね。『男はつらいよ』は、はじめはテレビドラマでしたものね。

山田 それが『男はつらいよ』の本当のはじまりなんです。監督と俳優というと、監督が俳優を選ぶというふうに考えがちだけど、違う。僕が選んだんじゃなくて、渥美さんが僕を選んだんだ。近頃しきりにそのことについて改めて考えていますね。

 とにかくそれで、「やってみましょう。その代わり、渥美さんという人のことをもっと知りたいから、一度会いたい」と言ったんです。

 そしたら渥美さんはすぐに、僕がいつも籠もっていた赤坂の旅館に来てくれた。お昼から夕方ぐらいまで、本当にたっぷり面白い話をしてくれました。その中で、彼が少年時代に憧れたテキ屋の話が出てきたんです。「白く咲いたが百合の花、色が白くて水くさい、四谷赤坂麹町、粋な姉ちゃん立ちションベン」なんてずうっと僕の目の前でやってくれる。

黒柳 あはは(笑)。

山田 この人、どうしてこんなにたくさん覚えているんだろうと驚きました。まあ。それが寅さんのはじまりですね。

国民的人気映画シリーズ第1作目 映画『男はつらいよ』@1969松竹国民的人気映画シリーズ第1作目 映画『男はつらいよ』Ⓒ1969松竹

半年続けたドラマの最終回で
寅次郎はハブにかまれて死んだが…

黒柳 その寅さんがとっても人気になって、映画になる。

山田 そうですね。半年続けたドラマの最終回でケリをつけようとして、寅次郎が奄美大島でハブにかまれて死んだ、という終わりにした。それが視聴者からの評判が悪くて、叱られて。電話や手紙でものすごい抗議を受けてしまって、ああ、視聴者はこんなにも寅次郎というキャラクターを愛してくれていたのかと、僕は反省しました。

 ドラマでは脚本だけで演出をしていなかったので、それじゃあ映画では監督として、もう一度寅さんに息を吹き返してもらおうと思ったんです。