AとB対照的な文章を並べ、回答者の人づきあいの指向を尋ねています。それぞれの意見は、「A 目的や利点がなければ、わざわざ人とつきあう必要はない」「B 目的や利点がなくても、人とのつきあいは不可欠だ」となっています。

 この図を見ると、日本社会ではすでに、「目的や利点がなくても、人とのつきあいは不可欠だ」と考える人(48.8%)より、「目的や利点がなければ、わざわざ人とつきあう必要はない」と考える人(51.2%)の方が多いことがわかります。

『人々のつながりの実態把握に関するアンケート調査』のデザインには私も関わっています。この質問を作成した当初、「さすがに、目的や利点がなければ、わざわざ人とつきあう必要はないと考える人はそこまで多くないだろう」と予測していました。

 ところが実際に調査をすると、差はわずかとはいえ、目的や利点がなければ人とはつき合わないと考えている人の方が多いことがわかりました。物事を合理的に考える発想はそこまで広がっているのです。

コスパ重視思考の
息苦しい人間関係

 何かを選ぶさいに、合理的に物事を考え決定するのは、悪いことではありません。誰だって損はしたくないものです。しかしながら、そこに落とし穴があることも理解しておく必要はあります。

 第一に、合理的な発想は自らも「コスト」として斥けられるリスクをはらんでいます。

 たとえば、誰もがつき合う相手を合理的に決めるようになれば、選ばれない人は必然的に出てきます。誰も「コスト」と考えられる人とつき合いたくないからです。

 したがって、選択的で合理的な人間関係のなかを生きる人びとは、相手から選んでもらえるような魅力を身につけなければなりません。とはいえ、そのような魅力を維持するのはたいへんです。

 また、今あなたを選んでくれている人が、継続的にあなたを選んでくれる保証もありません。何かの拍子に関係が壊れるときもあります。そうならないように、つながりをケアし続ける緊張感は相当なものでしょう。

 つき合う相手を自由に決められる社会では、自分も相手も交際相手を選ぶ権利をもっています。かりに、自由に選べる気楽さよりも、相手から選ばれる緊張感がまさった場合、私たちが生きる社会はとても重苦しいものになるでしょう。実際に、若者の友だちづきあいから、そうした傾向を読み取ることもできます。