飲み屋街イメージ写真はイメージです Photo:PIXTA

悲惨な事故が相次いだことで世論が動き、厳罰化されていった飲酒運転。これは「個人の決定」を抑止することで良い結果につながった事例だが、このような誰もが納得するケースは少ない。私たちはどこまで自己決定を尊重し、どこから責任を問うべきなのか。その境界線の手がかりを探る。※本稿は、社会学者の石田光規『自己決定の落とし穴』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。

飲酒運転はいかにして
重い罰則になったのか

 責任と行為の関係について、飲酒運転を事例に考えてみましょう。今では想像もつきにくいですが、私たちの社会は飲酒運転にとても寛容でした。地方では駐車場を備えた居酒屋も珍しくなかったほどです。

 飲酒運転が少なくなったのは、ひとえに、私たちがお酒を飲んで運転をするという決定に厳しい責任を課したゆえです。まずは図2を見てください。この図は1998年から2023年にかけての飲酒事故、飲酒による死亡事故の件数をまとめたものです。

図2同書より転載 拡大画像表示

 これを見ると、飲酒事故、飲酒による死亡事故の件数は2000年から2009年にかけて急激に減少したことがわかります。さらに細かく見ると、2001年から2003年、および、2006年から2007年にかけて、飲酒事故の件数、飲酒による死亡事故の件数は、いずれも大きく減少しています。