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「目的や利点がなければ人とつきあう必要はない」。そんな考え方が、いまや当たり前になりつつある。時間や労力の“ムダ”を省く合理思考は便利だが、同時に、人間関係から“偶然の豊かさ”を奪ってはいないだろうか。コスパやタイパを重視する社会で、私たちは何を失い、何を得ているのか。社会学者・石田光規氏が、その落とし穴を掘り下げる。※本稿は、社会学者の石田光規『自己決定の落とし穴』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。
若年層の間では「コスパ」
「タイパ」重視は当たり前
数ある動画のなかから何を見るか決め、そこに時間をかける以上、つまらないものは見たくない。時間(コスト)をかけるからこそ、見終わった後には満足したい(高いパフォーマンス)、というのが視聴者の心情です。
つまらないものに時間を費やすのは、当人にとってはコストでしかありません。だからこそ、いったん最終回を見て楽しいという確信が得られたらすべてを見る、倍速でざっと見て気に入りそうだと思ったらすべてを見る。このような視聴形態がはやってきました。
せっかく時間をかけるのだから、自分にとって最もパフォーマンスのよいものを選択したい。こうした考え方は、最近の若年層の間で、タイパ(タイム・パフォーマンス)と呼ばれているらしいです。
コスパの論理で合理的に考える発想は人間関係にも広がっています。社会が個人化したことで、私たちはつき合う人もあるていど自由に選べるようになりました。







