その小田切一家は6年前にそこから転出し、今ではこの小沢を訪れる人もなく、昔の径は雑草の中に埋もれていた。だが、その沢の流れはヤマベ(ヤマメ)の魚影が濃く、釣り好きの私はしばしばここへ足を運んでいた。

 今はちょうどヤマドリの繁殖期が始まったところ。いたるところに巣造りにとりかかった牡(おす)と牝(めす)の番がいて、呼び笛を吹きさえすれば、どこからともなくそれに応える鳴き声が上がり、ヤマドリのほうからこちらへ飛んでくるのである。

昼にヤマドリ猟を終えると
猟犬4頭の激しく吠える声が

 父は、ヤマドリが一番でいるときは必ず牝から先に撃つことにしていた。

 それは、牝を先に撃ち落としても、牡はその近くの木に飛び移りはするものの、遠くには飛び去らないものだからである。反対に牡を先に撃つと、牝はそれこそ一直線に遠くへ飛んでいってしまう。私も何度かそんなことを経験していたので、この頃は、父のように牡牝を見分けて撃つようになっていた。

 こうして2人はヤマドリを求めて小田切の沢を上り詰め、咲梅川と鳧舞川本流の間の峰伝いに左へ進路をとった。〈大橋(編集部注/大橋清子。著者の父の知人の娘で、家族で転居した)が住んでいた沢の詰めを回り、最終的には、伊藤の叔父が住んでいた沢を下って咲梅川本流に出てから帰宅する〉というのが、この日父がたてた予定であった。

 私たちについてきた犬は、ノンコ、四郎、チョコ、そして伊藤の家(編集部注/著者の叔父一家)で飼われているアンコの4頭であった。犬たちは2人の先になり後になりして峰まではついてきたが、いつものように、どこかへ姿を消した。

 日当りの良いところでは雪がすっかり解けて、落葉でくすんだ山肌もところどころ芽吹きの淡い青味を帯び始めている。だが、北向きの斜面や日陰の多いところにはまだ残雪があり、昼近くまでなら固雪となっているので、その上を走って通れるほどである。

 昼少し前、2人は、かつて藤田の山(編集部注/北海道・五鹿山の一帯は藤田製炭所の持ち山)が盛んな折りに伊藤の叔父が木炭を焼いていた沢の源流に来ていた。