だが、足はまったく動かなかった。“どうしよう、このままだと俺は熊にやられてしまう”焦燥にかられて、私は重い足をむりやり動かそうとした。
そのとき、熊は目前に迫り、胸が張り裂けるほど苦しくなって、その苦しさを吐きだすように、「ウワーッ」と大声で叫んだ。
その声が耳に入り、はっとして立ち上がろうとして、あやうく待ち場から落ちそうになった。見渡すと、夜はうっすらと明けそめており、穴の方に目を移した瞬間、私は思わず「あっ」と声をもらした。
山裾から上の斜面へ、1頭の大熊が駈け上がってゆき、たちまち姿が見えなくなった。
“しまった、来ていたのか。俺のねぼけ声で、走らせてしまったか”と悔やんでも、もはや後の祭りであった。私は待ち場に坐ったまま、しばし呆然と熊が走り去った斜面を眺めていた。
長いこと苦しみに耐え、体の痛みをこらえてきたのに、不覚にも睡魔との戦いにやぶれ、みすみす好機を逸してしまったのだ。
辺りが明るくなるにつれて、やりきれなさ、惨めさはいやましたが、私は気をとりなおして待ち場を下り、穴のところへ行ってみた。
開運号の腹の破れはさらに大きくなっていた。熊が真っ先に手をつけたのであろう、内臓が大量に引っ張り出され、少し異臭を放っている。熊はしかし、この内臓の一部を喰い始めたばかりだ。夜になれば、きっとまた喰いにくる――。
何かが近づいてくる……
ライフルの安全装置をそっと外す
私は亡き骸をそのままにしてその場を離れ、家に戻った。そして午前中に用事を済ませると、銃を念入りに点検し、午後は早々に蒲団に入った。
夕刻、昨日と同じく未だ明るみの残るうちに待ち場に上った私は、まず坐るところに横木を補充し、それから持参した麻袋を重ねて敷き、坐り心地をよくして日暮れを待った。
日没時にはあちこちに群雲が漂っていた夜空も、よふけにはすっかり晴れ上がり、満天に散りばめた星々の明りが地上にふりそそいで、穴の辺りもかすかに目視できる暗さであった。







