『ありのままの自分で、内定につながる 脇役さんの就活攻略書』(藤井智也・著)は、特別な経歴や夢がなかった“普通の就活生”である著者が、1000冊以上の本を読み込み、自分に合った就活メソッドを築き上げ、食品大手を含む22社から内定を獲得した実体験をもとにした、どんな学生でも内定に近づく一冊です。「自己PRで話せることがない」「インターンに参加していない」といった就活に不安を抱く学生と、そっと背中を押したい保護者に読んでほしい就活戦略が満載です。今回は特別企画として、上場企業の人事面接官を務め、これまでに就活本を3冊上梓してきた霜田明寛氏に、顔採用についてご寄稿いただきました。(構成/ダイヤモンド社・森遥香)

顔採用Photo: Adobe Stock

「顔採用」は2025年の今も存在するのか?

いつの時代もあるのか、ないのか話題になる就職活動における「顔採用」。特に近年ではルッキズムの流れもあり、公に「ある」なんて言ってしまったら大問題なのは目に見えている。では、実際はどうなのだろうか――?

筆者は2009年以降、3冊の就職活動の本を執筆。大学や大手新聞社主催の講演に登壇するほか、自身でもセミナーを開くなど、15年以上にわたって就職活動生を指導している。また、上場企業で人事面接を担当するなど、面接官としても就職活動生と対峙している。その他、様々な企業の人事担当者への取材などから導いた結論としては、2025年現在、まだ顔採用は存在しているというのが結論だ。

だが、それは多くの人がイメージしている“イケメンや美人から順に採用されていく”といったものとも少し性質を異にするものである。単純に美醜の話ではなく、厳密に言えば顔採用というよりも、顔も含んだ「ルックス採用」と言ってもいいかもしれない。そして、その「ルックス採用」の本質は流行りの“言語化”と逆行するものと言ってもいい。

ここでは、顔採用について考えることで、日本企業が採用する際に使用する“ものさし”の実体や、就活生が自分の時間資源を投入するべきは何なのかについて明らかにしていきたい。

まず、そもそも、顔採用とは、顔を判断基準に採用判断を下すことを意味する。この言葉から想像すると、仮に人の顔に美醜があったとして、美しい人のほうが有利ということになる。だが、本当にそうだろうか。例えば、助手が美人だらけの歯科医院があったとして「洗練された歯科医院だ」と満足度を高める客と「怪しい」と思って避ける客がいる。その歯科医院がどんな雰囲気を求め、どんな客を相手にするかによって、必要とする助手像は変わってくるはずだ。つまり、どんな場合も美しい方が有利というわけではない、ということを前提にしておきたい。(ちなみに、かつて港区に受付がミスキャンパスだらけの歯科医院というのが実在した)

対処可能な“ルックス採用”という現実

それでは、顔を含むルックスが採用の判断基準になるとはどういうことなのだろうか?

採用とは、面接によって、その企業が欲する能力や人間性を見極め、人を選ぶ作業である。基本的には面接の時間内の言葉のやり取りによって、それらを判断することになる。そのため就活生は、自分の能力を言葉にしてアピールすることに必死になる。流行りの“言語化”というもののスキルを伸ばそうとする就活生も多い。

ただ、人の能力というのは本当に言葉だけで説明することができるものなのだろうか。ましてや、その会社との相性という意味での人間性となると、言葉で説明するのはより難しい。むしろ「私は御社にあっている人間です」と言えば言うほど、「この人はうちの何がわかってるんだろう」と逆効果になる可能性が高い。

実は、面接においては、言葉以外にも、就活生は色々なアピールをすることができる。それがルックスである。
繰り返すが、ルックスとは、顔だけではなく、髪型や服装・メイクなど、面接官が就活生を見たときに目に見えるもの全てをひっくるめてのルックスである。

例えば、センスというのは重要な能力のひとつである。美容系の企業だったら、最低限の美容的なセンス、アパレル企業だったら服飾センスのようなものが求められるだろう。それらは、メイクだったり、着ている服だったりでアピールすることができる。何も卓越したセンスでメイクをしたり、高級な服を着こなせと言っているわけではない。ただ、そういったものを取り扱う上での最低限の素地のようなものは、ルックスでアピールする必要はある。また、もし、その企業を本当に志望しているのであれば、ある程度、そのあたりを整えるのも、志望度の高さの表明になる。

つまり、ルックスには“変えられる部分”と“変えられない部分”がある。その企業が求めるものを察知し、“変えられる部分”を磨いて面接に望むのは、効果的な努力のひとつである。ここでは詳述を控えるが、例えばオンライン面接において自分がよく見えるような光を当てるといった行為もそのひとつだ。