接待が本当に効果を発揮する、たった一つのパターン

 では、接待はなくすべきなのかと言えば、現実にはそう簡単には消えそうにない。接待には「利益を生むための行動」という攻めの役割だけでなく、「自分を守るための行動」という切実な役割があるからだ。

 私自身の経験から言っても、40代を過ぎて責任ある立場になると、仕事は結果だけが評価される、いわば毎日が本番の勝負になる。そこで成果に集中するためには、余計な敵を作らず、無用なトラブルを避けることがとても重要になる。

 店を選ぶときに頭に浮かぶのは、「この店は相手に失礼にならないか」「コーヒーだけの簡単な会食だと、軽く見られてしまわないか」という不安だ。利益計算よりも、人間関係の細かな減点を避けることが優先される。

 ビジネスの信頼というものは、一度大きな成功を出すだけでは保てず、毎日の「小さな失点をしないこと」で守られている面がある。

 多くの人にとって、接待とは相手への敬意を示し、関係が悪くならないようにするための保険料のようなものなのだ。政府が交際費の減税を議論している背景には、物価高でこの“守りに必要なお金”が増えているという現実があるのかもしれない。

 しかし、ここでさらに深く考えてみたい。

「接待には本当に意味があるのか」という問いに対して、唯一、はっきりと「効果がある」と言える場合がある。それは、接待される側もする側も、どちらも「徹底的に仕事を中心に生きている人」の場合だ。

 世の中には、寝ている時でさえ仕事のことを考えてしまうような、完全に仕事人間というタイプの人がいる。

 こうした人にとって、食事の時間は単なる休憩ではなく、場所が変わっただけの第2の仕事時間になる。リラックスした空気の中で、普段の会議室では話しにくい本音を交えながら、より深い議論ができるなら、その時間はとても意味がある。

「結局、食事をしながら仕事の続きをしているだけだ」という認識で行う会食であれば、それはれっきとしたビジネスであり、価値ある投資だと言える。