しかし、娘のために素晴らしい誕生会にしてやりたいと思っています。内向型の母親にとって、子どもの誕生会ゲームを取り仕切るのは気恥ずかしいものです。しかし、彼女はそれを行い、参加した子どもたちも大いにそれを楽しみました。
「偽の自分」ではなく
「潜在的な特性」の表れ
では、この母親は、偽の自分を演じたのでしょうか?
そんなことはありません。誕生会が終わって子どもを迎えに来た他の母親たちは、帰りの車の中で、彼女がいつもとは違うように振る舞っていたと言うでしょう。PTAや地域の集まりでは、静かで落ち着いた人だと思われているからです。しかしこの日の午後、彼女は陽気で溌剌とした態度で子どもたちを喜ばせ、他の親を驚かせたのです。
彼女は、「いい母親であること」という観点から、「娘のために素晴らしい誕生日パーティを開く」というパーソナル・プロジェクトを計画し、それを実行しました。普段とは違う振る舞いをしましたが、それは心の奥にある娘への愛情深さから生じた、「潜在的な特性」の表れであるとも言えるのです。
『ハーバードの心理学講義』(ブライアン・R・リトル著、児島修訳 だいわ文庫、大和書房)
再び、「自然な行動とは何か」について考えてみましょう。
カラオケバーで熱唱する男性を見たとき、私たちは彼にどんな印象を抱くでしょうか?
「この男性は典型的な外向型で、いつもこんなふうに歌っている。彼にとってはこれが自然な行動に違いない」と思うのではないでしょうか。
しかし、子どもの誕生日パーティで陽気に振る舞う母親も、「自然な」振る舞いをしていると言えるのです。彼女は最愛の娘の誕生日パーティで、その愛を表現するために「陽気で社交的な母親」という社会的なモデルに従ったのです。
私は、遺伝的、社会的、個人的な動機に従って行動することは(この3つの動機は競合することもあります)、すべて自然なことだと考えます。これらは、「幸福」のために私たちが自ら選択して行動している成熟した人間の姿なのです。







