経営再建を経て
流行を生み出し収益源を拡大

 上場会社であるユークス傘下で、まず取り組んだのは、当たり前の会社になること。何十年にわたって丼勘定だった団体の“体質改善”を進めたのだ。

 例えば、予算を立てて進捗状況を定期的にチェックしたり、外部に仕事を発注する際は相見積もりを取ったりといったことを徹底させた。

 そして2012年、ユークスがカードゲーム事業を主体とするブシロードに株式を売却したことをきっかけに、新日本の快進撃が始まる。

 ブシロード体制になってまず取り組んだのが、大量の宣伝広告展開だ。「はやらせるためには、“はやっている感”を演出するのが大事」(木谷高明・ブシロード社長)との考えから、ラッピングバスを幹線道路に走らせ、JR山手線の車体やターミナル駅にも大会の告知を打った。そのために突っ込んだ広告費は2億~3億円と、プロレス史上類を見ない金額だった。

 吉野家など大手飲食店とコラボレーションしてみたり、ファッションビル109メンズでは各選手がモデルを務め、若者にアピールしたりするなど、他社とのタイアップも積極的に活用。

死の淵から這い上がった…復活!新日本プロレス【特別レポート】夏の大会告知でJR山手線をジャック。 通勤・通学の人々へ強烈にアピールした。
死の淵から這い上がった…復活!新日本プロレス【特別レポート】ファッションビルとのコラボでは 選手がモデルに挑戦。

 短期間に大量露出をすることで、中年層には「実はプロレス好きだったんだよね」、若年層には「プロレスってどんなものなんだろう」といった具合に、会話の中で「プロレス」という単語が頻繁に出てくるきっかけをつくり出していった。