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東京のど真ん中には、江戸時代の大名屋敷の巨大区画がいまも形を変えずに残っている。超一等地にもかかわらず、なぜ150年以上も手付かずなのか。その背後には、大都市ならではの裏事情があった。※本稿は、一橋大学イノベーション研究センター教授の中島賢太郎、同志社大学経済学部教授の手島健介、京都大学大学院経済学研究科准教授の山崎潤一『歩いて学ぶ都市経済学』(日本評論社)の一部を抜粋・編集したものです。
激動の東京で生き残った
大名屋敷のような歴史の残滓
東京には昔、広い敷地を持つ大名屋敷が多く存在した。
明治維新の際にその多くが接収され民間に払い下げられたり、戦後の重い財産税により多くの屋敷地が旧大名家から民間へと流れたりした。東京大学の赤門や浜離宮の庭園といったところでは当時の姿に思いを馳せることができる。
また構造物そのものは消えてしまっても、丸の内や霞が関などでは、猥雑とも言える東京のビル群の中にありながらも大名屋敷の歴史を感じる広々とした土地を残し、その土地を活用した高層のビルが建築されることもある。
都市にはこうした過去の歴史的地層を感じさせる土地利用がしばしば見受けられる。
一方で、通勤経路やお決まりの散歩道などを歩いていると、テナントが出てしまった貸ビルに入居を募る看板が出されていたり、新しいビルに建て替えるためにビルが壊されていたりして、街の変化を感じることがあるだろう。
街の住民や企業はさまざまな理由で移転をすることがあるので物件に空きは出るだろうし、発展している街では今までより大きなビルを建てるために区域丸ごと再開発されることもある。







