写真はイメージです Photo:PIXTA
「ソロ活」は自由で快適な生き方として語られがちだ。しかし、その表面の明るさとは裏腹に、そこには人間関係の希薄化が生む“消極的な孤独”が隠れている、と著述家の真鍋 厚氏は指摘する。ひとりで過ごす行為は同じでも、個人の孤独との向き合い方によって大きな差が存在するという。※本稿は、評論家、著述家の真鍋 厚『令和ひとりカルト最前線 サバイバリズム時代の生存戦略』(現代書館)の一部を抜粋・編集したものです。
人はなぜ共同体よりも
コミュニティに惹かれるのか
「コミュニティ」という言葉には独特の響きがある。
わたしたちは「共同体」と聞くと、思わず首をすくめてしまうが、「コミュニティ」という語感にはあまり悪い印象を持っていない。
しかし、辞典を紐解けば一目瞭然だが、コミュニティとは、「村落、都市、地方など、地域性と共同性という2つの要件を中心に構成されている社会のこと。特に地縁によって自然発生的に成立した基礎社会をいう。
住民は同一の地域に居住して共通の社会観念、生活様式、伝統をもち、強い共同体意識がみられる。地域社会。共同体」とある(『精選版日本国語大辞典』)。
ほとんど同じ意味なのだが、「共同体」は、ムラ社会や因習といったイメージに結び付く古風な使われ方をされることが多く、一方、「コミュニティ」は、いかにも現代的で価値中立的な「安心できる場所」というニュアンスで用いられる傾向がある。
そのため、「コミュニティ」には「共同体」とは異なる不思議な心地良さが添加されることになった。







