そして地域の小学校にて面接を受けた時、やはり言われた。「教育委員会からは、ろう学校へ行かせた方が良いと言われているが、それでもここの学校へ通わせたいのでしょうか」と。「ろう学校も見学し、相談もしました。他も見てきましたけど、それでも地域の学校へ行かせたい」と答えた。
事前にろう学校へ行ってきた行動が、逆に先生たちを黙らせた。その後何回か面接を受けたが、私の気持ちは変わらなかった。3月の面接の時、校長先生から、「今日が最後の面接です。あなたの気持ちは変わりませんか?」、「変わりません」と答えた。「最終的に進路を決めるのは親です。私が責任を持ちましょう」と校長先生が言ってくれた時には、涙が出てきた。
「校長先生のおかげで学校に通えるんだよ」と話していたためか、長女は校長室まで遊びに行って、そこでいろいろお話ししていたらしい。教育委員会からの通学の条件は、転校の検討も含めた年1回の校長先生との面接だった。しかし、長女とコミュニケーションが取れていたためか、校長先生は形だけの面接だと言って雑談で済ませていた。
聞こえないことに負けず
人生を楽しむ長女
校長先生が他校に転勤となった時、長女は手紙と一輪の花を渡したそうだ。私が挨拶に伺うと、校長先生は仰ってくださった。「あなたは間違っていない。だから自信を持ってください」と。校長先生は、新校長先生にも長女のことを話してくださった。中学校の校長先生にも話は引き継がれた。中学校の校長先生もまた、高校の校長先生に話をしてくださっていた。
全てを学校にお任せするつもりはなく、私も自分にできることはしようと考えていた。ある授業参観の時、私はノートテイカー(編集部注/主に聴覚に障害のある学生が授業内容を理解できるよう、授業中の先生の話や教室の状況をリアルタイムで文字に書き起こし、伝える情報保障活動)の派遣を受け、先生のお話を書いてもらった。その時の紙を長女が読みたがったので見せてあげた。長女も他人の目を気にするよりも、情報を知りたがっていたのだと分かった。その意欲を失わないように、できる限り音声情報の可視化に努めた。







