ようやく痙攣が止まり、脳波検査にも異常が見られなかったため安心した矢先の正月に再び原因不明の痙攣を起こし、1カ月ほどまた入院生活に。この時期だけは、長女の難聴をすっかり忘れ、ひたすら次女の痙攣を止めてほしいと願っていた。次女の入院中には阪神大震災が起き、被災難聴者のための物資支援活動にも関わった。長女の難聴問題と、次女の痙攣対応と、とにかく必死に過ごす毎日だった。

 長女の就学については、自分の経験から地域の学校に通わせると決めていた。私は高校の時、同じ聴覚障害者と友だちになりたくて、ろう学校の合宿に参加したことがあるが、音のない会話に疲れ、そこから逃げてしまった苦い思い出がある。

 また、20歳の頃から、難聴者協会の青年部に入っており、何気ない会話から、いろいろな人の経験も聞かせてもらっていた。この時の活動が、長女の育児、教育、進路などに役立つことになるとは、当時は思いもしなかった。

地域の学校へ進学させるのは
「親の見栄」だと言われた

 就学の事前教育相談及び健康診断を受けていた時、老医師から、ろう学校へ行かせた方が良いと言われた。理由は親が聞こえないから。それだけだった。ろう学校は教育も遅れているし、社会に出てからのフォローも心配だった。

 最後まで親である私が見守らなければいけないのなら、初めから地域の学校へ行かせたい。子どもの力を信じていると答えたら、「それはね、親の見栄なんだよ」と、その言葉は、聞こえない私に何ができるのかと笑っていたように思えた。それでも曲げなかった私に、最後には怒ったように、「この子がかわいそうだと思わんか」と言われた。まさに親の気持ちに突き刺さる言葉だった。

 この年の夏に、ろう学校をはじめ通級指導教室、児童相談所、医療センターなどを回った。難聴者協会に入ってから、福祉行政の話をいろいろ聞かされていたので、この機にどんなものかこの目で見てみようと思った。私はろう学校へは通った経験がないので、現状も確認したかったような気がする。