それは突然のさよならだった。「ありがとう」も言えなかった。

 亡くなった年から、交通安全を呼びかける講演を何度も引き受けてきた。「あの日に帰るので、きついんです。でも、つらいからこそ伝えないといけない」。

 えみるさんのお葬式の喪主あいさつで語った。「僕はしゃべる仕事をしているのだから、幼い命が犠牲にならないように伝えていく」と。

 娘が言わせたのかもしれない――。今、そう思う。

 児童や生徒に話すときは、こんなことを言う。ニュースでは「車にはねられ、搬送先の病院で死亡が確認されました」といった短い原稿だ。でもそこに命の闘いがあり、怒り、後悔、悲しみ、苦しみがどれだけつまっているか。想像してほしいと。

 そして、人は最後まで生きようとすること。命尽きる時まで生きたいんだよと。だから、人の命を奪ってはいけない。自分の命を粗末にしてはダメなんだよと。

笑顔になる必要はない
乗り越える必要もない

 講演から帰ると、仏壇に話しかける。「父の話は大丈夫だったかな。犠牲者が減ることにつながるかな」。えみるさんは「チチ」としんごさんを呼んでいた。

 事故から16年。生きていくのが苦しいと思うことが何度もあった。それでも前を向いたのは、「生きようとした娘の最後の1時間半のがんばりを思ったから」。

 妻は最後まで「がんばれ」と言い続けたことを悔やんだという。お友だちをつくるようにがんばれ、勉強をがんばれ、運動会でがんばれ。そう言ってきて、天国に行く時も「がんばれ」と言ってしまった。

 娘にあれだけ言ったのだから、自分もがんばらなければ。妻はそう言っている。

 今は妻とこう語り合う。亡くなった後、きっと娘に会える。そして「全部見てたよ。よくがんばったね」と言ってもらう。そういう人生にしようねと。

 だから、事故犠牲者の家族から苦しみの手紙が届くと、こう答える。

「無理して笑顔になる必要はないですよ。乗り越える必要なんてない。でも、生きていかなきゃ。亡くなった人に申し訳ない。よくがんばったねと言ってもらうため、残りの人生を生きていきましょう」