しかし、捕獲数は見る影もありません。数百、数十という年が続き、1920年から再び、そして長い禁猟に入りました。この頃までにエゾシカは北海道の多くの地域で絶滅したと考えられています。

 後に遺伝子分析などでわかるのですが、少数のエゾシカが日高、大雪、阿寒の山系に生き残っていました。これらの個体が基になって、エゾシカは徐々に数を増やしていきました。

 そして、農業被害が記録され始めたことに合わせて、1955年にエゾシカ猟が解禁されました。この時、猟が許されたのはオスだけでした。エゾシカは1頭のオスが複数のメスと交尾することが普通なので、オスが多少減っても繁殖率が落ちることはありません。捕獲数が増えても、乱獲になることはなく、個体群は回復していきました。

 北海道の東部に偏っていた分布域は年々拡大していき、1990年代までにはかつての生息域のほぼ全てにエゾシカがいるようになりました(注1)。

エゾシカの保護計画は
本当に正しかったのか?

 エゾシカの保護は成功しました。でも、保護策はいつまで続ければ良いのでしょう。1990年代前半までは、希少動物のほとんどの保護計画で、その目標は数量的には定めていませんでした。目標がはっきりしていなかったので、保護策はなかなか改められません。そして、エゾシカは増え続け、農林業に大きな被害を与えるようになってしまいました。

 農林業被害は1996年に50億円を超えました。列車事故もあります。エゾシカが自動車に突進してくるような事故も起きるようになりました。北海道庁はエゾシカへの保護策を根本から見直す準備を始めました。

 当時、北海道環境科学研究センターの研究員だった梶光一を中心とした研究チームが組織されました。チームが直面した問題は「エゾシカは何頭いるのか」でした。正確な数でなくても、増えているのか減っているのかがわからなければ、対応策を立てることはできません。

 手元にあったものは、エゾシカの捕獲数と被害の長期間のデータと短期間で断片的な生息数の推定値でした。

(注1)梶光一・宮木雅美・宇野裕之(2006)『エゾシカの保全と管理』北海道大学出版会。