それはあっという間の出来事だった。この間、一体何があったのか?広岡が苦心の末につかんだ栄光は、どうしてこんなにもたやすく瓦解してしまったのか?この年のスワローズに一体、何が起きていたのか?

祝賀パーティーの翌日から
心が萎えてしまった選手たち

 井原慎一朗(編集部注/1969年入団の投手)は言う。

「ほとんど休みがなかったことも大きかったと思います。日本一になったのもつかの間、すぐに秋季練習が始まりました。優勝した年のオフはサイン会などのイベントに呼ばれるものだと思っていました。でも、まったくその気配がない。

 どうやら、広岡さんがすべて断っていたと聞きました。翌年のユマキャンプも、投手陣は早めにアメリカ入りしました。この間もほぼ休みはなし。せっかく日本一になったのに、ムチばかりでアメが何もなかった。そこで選手たちの不満が爆発する。それも大きかったと思いますね」

 日本一に輝いたとはいえ、スワローズはまだ未成熟なチームだと広岡は考えていた。「まだまだ鍛えるべき点は多い」という信念のもと、栄光をつかんでもなお手綱を緩めることはしなかった。

 選手たちのフラストレーションは溜まり、疲労がピークに達する頃に開幕を迎えてしまった。結果が出ないからさらに焦りが募り、ますます悪循環に陥ってしまう。

 それが、井原の見立てだった。八重樫幸雄(編集部注/1969年入団の捕手)もまた同意見だった。

「チームの日本一はもちろん嬉しいんですけど、僕自身はまだリハビリ中だったので、まったく戦力になることはできなかった。だからこそ、“よし、来年こそ”という思いは強かったんです。でも、その翌日にはもうすでに、チームの中に“広岡監督は、もういいや”みたいな雰囲気が蔓延したんだよね……」

 八重樫が口にした「翌日」とは、はたしてどんな意味なのか?

「優勝後、東京と大阪で、球団が決めた祝賀パーティーがありました。でも、それが終わるとすぐに国立競技場を借りて秋季練習が始まったんです。普通、優勝した後のオフはサイン会だ、トークイベントだって、選手にとっては副収入を稼ぐ絶好のチャンスなんです。