それなのに約1ヵ月にもわたっての猛練習。広岡さんは翌年も結果を出すために必要だと思ったんだろうけど、キャンプが終わった頃には世間の人たちも優勝、日本一のことは忘れているし、熱も冷めているから、“今、このタイミングを逃したらせっかくのオフを満喫できない”って、ベテランの人たちはみんな怒っていたよね」
そして八重樫は、こう続けた。「優勝したすぐ後にサイン会とか開かれていたら、結果は違ったんじゃないのかな?優勝後の楽しみが奪われたのが、意外と大きかったと思います」
連覇を目指す広岡の思いは
選手たちに伝わらない
広岡に徹底的に鍛えられ、プロとして生きる術を教えてもらった水谷新太郎(編集部注/1971年入団の内野手)。当時25歳だった彼にとって、「日本一」という称号はその後もプロとして生きていく上での勲章となった。しかし、その喜びは長くは続かなかった。水谷は言う。
「やっぱり、勝っているときはいいけど、負けが込み始めるとムードは悪くなるし、せっかく前年に優勝、日本一になってもいろいろ不満も出てきますよね。広岡監督としては、“連覇に向けて、さらに厳しく”という思いだったのに、それをよく思わない人も出てくるでしょうし……」
日本一が決まった直後、休む間もなく秋季キャンプが始まったこと。サイン会やテレビ出演など、選手たちが楽しみにしていたオフシーズンのイベントがほぼ行われなかったこと。
「連覇」を目指した翌1979年のユマキャンプは、前年よりもさらに過酷なものとなったこと……。
選手たちの胸の内にあるさまざまな不満が、熱せられたマグマのように噴火寸前のところまできていた。水谷は続ける。
「もちろん、そうした不満が溜まっていた選手もいたとは思います。でも、僕としてはさらに階段を上るためには、厳しい練習も当然のことだと思っていました。全員が全員、そう思っていたわけじゃないのも理解していますけど……」







