3年の夏は県大会準決勝で敗れ、出場することができませんでした。実はその後、気持ちが切れてしまって、少し野球から離れた時期があります。子どものころからほぼ休みなく続けてきた野球を1カ月ぐらい休んで、運転免許を取りに行ったりして。でも、一度離れたことで自分の視野が広がり、「やっぱり野球が好きなんだ」と気持ちを再確認することができました。
それからは「高卒でプロ入りした同級生たちに負けたくない」「4年後には自分が」という強い思いを持ち、プロ入りという目標に向かって大学4年間を過ごすことができました。4年という時間は決して短くはありませんが、その間、苦しいときも努力し、成長できたのは、あの時があったからだと感じています。あの1カ月は、私の野球人生のターニングポイントだったのかもしれません。》
父と母も初めて見た
吉田の悔し涙
引用箇所に限らず、他のインタビューにおいても、吉田はしばしば「あの1カ月」を振り返っている。改めて、本人の言葉を聞こう。
「本当に悔しい思いをしたのが3年の夏でしたね。高校入学当初、信じられないぐらいのロケットスタートを切りました。あの頃を《10》だとしたら、高校3年夏は、《1》とか《2》ぐらいまでガクッと落ち込みました。
このとき、背番号は《3》でした。本来の外野手としてではなく、一塁手として迎えました。肩を痛めてポジションが変わったことがまず悔しかったし、情けなかったし、“最後の夏なのに、自分は何をやっているんだろう?”という思いしかなかった。
試合で負けた後はもう何もする気が起きませんでした。しばらく野球のことは考えたくなかったし、この年の甲子園中継は見なかったですね。いや、見られなかったですね」
父と母も、この頃の吉田のことを鮮明に覚えている。
「高3の最後の県大会で負けたときに、正尚は悔し涙を流していました。チームのみんなと座りながら、塞ぎ込んでいた記憶があります。それ以外は野球で、いや野球以外でも正尚が泣いたところは見たことがないですね」(父・正宏さん)







