その対応とは簡単な話で、43歳になると遭難するリスクが高まるのだから、その年は大きな旅は控えて、44歳になったらまた冒険をはじめたらよい、というものであった。
ところが実際に43歳が近づいてみると、話はそう簡単ではないとわかった。さきほど述べた“43歳落とし穴説”のように、肉体が経験に追いつかなくなることだけに原因をもとめるのは理解が浅く、もっと複雑な心理的要素が関係していることを実感したのである。
実際に43歳になってわかったことはふたつある。
ひとつは、たしかにこの年齢が人生の頂点であるという事実だ。
というのは43歳前後の頃から、私はふと、これまで考えたこともないようなことに頭を悩ませている自分に気がついたのだった。何かというと将来のことである。
当時の私は毎年のように北極で70日とか80日におよぶ狂気じみた徒歩旅行をつづけていた。旅をするたびに飢えて野垂れ死に寸前となり、体重は10キロ以上落ちる。当然ながら、いつまでもこんな旅を続けることはできないと思う。40をすぎたばかりの今はまだ体力があるのでいいが、50近くになって同じレベルの旅は無理だろう。というわけで引退が頭にちらつく。では引退したあと自分は何をしたらいいのだろうか。
北極ではずいぶん前から鉄砲で獲物をとりながら旅をしており、かねがね北極探検引退後は山のなかで狩りをしながら生活したいと思っていた。どうせやるなら狩りだけではなく、すでに北極での旅の手段となっていた犬橇も国内で継続したい。狩猟と犬橇ときたら北海道しか考えられない。
ゆくゆくは北海道の原野に土地を入手し、北極から犬を何頭か連れて帰り、エゾシカやヒグマをとりながらのんびり暮らすのが面白そうだ。犬橇で狩りをする猟師など日本にいないから、それはそれで挑戦的な活動になるだろう。
そんなふうに余生について考え動きはじめた矢先のことだ。いったい何故に俺はこんなことに頭を悩ませているのだろうかと、ふと冷静になる瞬間があった。その瞬間、私はゾッとした。そんなことを考えていること自体、自分の人生がすでに頂上を通過し、下り坂にはいっている証ではないか……と気づいたからだ。







