実際に私は20代、30代の頃より今のほうがはるかに登山や探検を楽しむことができている。若い頃より自由になったという感覚さえあるのだ。

人生が下り坂に入ると
自由になる理由

 なぜ下り坂にはいると自由になるのか。年齢論的に分析するとつぎのようなことになるだろう。

 人が何か行動に踏み出すには思いつきが原動力となる。

 その思いつきが過去の経験と関係ない文字通りの単なる思いつきなら、実行しなくてもたいしたことにはならない。

 たとえば会社勤めのサラリーマンが職場の人間関係が嫌になり、ふと、仕事を辞めて世界旅行でもするか、と思いついたとしても、その思いつきには過去の経験が段階的に発展してきた必然性がないので、実行しなくても大きな後悔は生まないし、むしろ実行しないのが普通である。

 でも植村直己の南極横断や平出和也(編集部注/ピオレドール賞を日本で最多の4度受賞した登山家。2024年、K2西壁を登攀中に滑落し死亡)のK2西壁のように生の履歴から導かれた必然的思いつきであれば、思いついたが最後、それを振りほどくには多大な苦しみがともなう。

 一方で、こうした思いつきは何かきっかけがないと顕在化するものではない。

 たとえば私が犬橇をはじめたのは、42歳の最後の極地徒歩旅行でアザラシ狩りに失敗したのがきっかけだった。当時の私にはアザラシ狩り用の道具や技術はなく、何度かトライしたがすべて逃げられた。この失敗がきっかけで「犬橇ならここでアザラシを獲れてもっと北の地に旅できるのではないか……」と閃き、結果、犬橇狩猟旅行家としての道を歩むことになった。

 決定的なターニングポイントだったと思う。でも、このターニングポイントは偶然の要素が非常につよい。

 この地域でアザラシが海中から氷上に本格的に出てくるのは4月下旬以降だ。あのとき私がアザラシ狩りに失敗したのは4月中旬で、その時期はまだ気温や氷の厚さなど条件が重ならないと、あれほどたくさん氷上に出てくることはない。実際、往路では何頭ものアザラシに出会ったが、帰りは全然見かけなかった。