そのことを考えても、往路でアザラシを見かけたのは好条件にめぐまれたからであり、もし条件が悪ければアザラシ狩りを試みることもなかっただろうし、犬橇をはじめることもなかったわけだ。本当に単なる偶然なのである。

思いつきを行動に移す人と
そうでない人の違い

 ただし、きっかけは偶然だとしても、中身は必然だ。〈犬橇でもっと北の地をめざす〉という次なる衝動は、それまでの極地旅行の結果として私の無意識の層ですでに胎動していた。ただ、それはまだ潜在的なものにすぎず、意識の表面にのぼってくることはなかった。それがアザラシ狩りの失敗がきっかけとなり、あたかもコップの表面で張力をたもっていた水があふれだすように意識の層にのぼってきたのである。

 水があふれた以上、私はその思いつきを実行するしかない。逆に、何かきっかけがあればすぐに水があふれかえるぐらい無意識の層を満たしていないと、思いつきを実行に移すことはむずかしい。

 平出和也がK2に挑んだのは、実際にK2西壁を偵察して、すごいものを見てしまったとの衝撃にうたれたからだ。私がツアンポー探検をめざしたのは本屋でたまたまその地域の探検史を見つけ、とんでもない地理的空白部がまだ残っていることに興奮したからだ。

 水をあふれかえらせるには誰かがコップに石を投げなくてはいけないのだが、そのきっかけを作るのはつねに偶然の出会いや発見なのである。

 つまり人生を動かすのは偶然である。

偶然による思いつきが
人生の固有度を高める

 では偶然とは何か。

 それは世界でその人のみに固有の出来事のことである。

 あの日、池袋の本屋でたまたま東ヒマラヤ地方の探検史の本と出会ったとき、その場に居合わせたのは世界で私だけだった。あるいは北極の海氷上で日光浴するアザラシと出会ったのも世界で私だけであった。

 偶然とはたまたまそのとき私がその場に居合わせたということなのだが、言い方をかえれば、それは世界で私だけに帰属する出来事のことでもある。そのような固有の出来事がきっかけで人は何かをやろうと思いつくのである。