そしてこの偶然による思いつきというものは、意志を超越した制御不能な力をもつ。北極での犬橇活動はカネもかかるし、現地の滞在期間が長くなり家族とも離れ離れになるわけだから、合理的に判断したらそんなことはやらないほうがいい。

 でも、コップから水があふれかえってしまっているわけだから、そういう計算は度外視して私はやらざるをえない。思いついた瞬間に、私は、私の意志と無関係にその未来に投げ出されてしまっている。これほどの力があるのは、それが偶然=不意の出来事だからである。必然=予定調和の出来事にはそれほどの超越的なパワーはない。

 これは私だけの話ではない。決断して新しい世界に飛び出すときは、誰だってかならずそのようなプロセスを踏んでいるはずだ。たまたま誰かと出会い、面白い出来事に直面し、何かの事件にまきこまれ、それがこれまで歩んできた道と化学反応をおこして新しい道が開かれ、それを歩み始める。そのとき人生は予定していたものとは少しかわる。ちょっとだけ予定と針路がズレる。

「類型的人生」など
この世にひとつも存在しない

 重要なのはこのズレだ。なぜならこのズレは偶然がきっかけで発生したものである以上、その人の人生の固有度を示す指標となるからである。

 20代の頃はこのズレが小さい。経験も浅いせいで発想のレベルが他人とあまりかわらないものになりがちで、類型的な生き方から離れておらず、固有度は低い。固有度が低いと自分が何者でもない気がして人生の意味に迷い、自己存在証明をもとめる旅にでる。

 でもそれが、私のケースであれば探検部にはいったことでわずかにズレて、ツアンポーを探検したことでまたちょっとズレて、北極に通いはじめることでまたさらにズレて、犬橇やら狩猟やらでさらにどんどんズレてゆく。

 10年、20年と生きてゆくなかで仕事や恋愛や趣味や人間関係においてさまざまな経験を積み重ね、そこで色々決断していくうちに、そのたびに小さなズレが生じる。ひとつひとつのズレは小さいが、それがだんだん累積してゆき、40代になるとズレは随分と大きくなっているのである。