しかし男性が女性を演じる女形の芸に着目すれば、社会的・文化的な存在として性的役割を転倒させる試みの1つとして、世界的に見ても興味深い芸能であると考えることができる。

 そもそも男女を二極とした性差は、LGBTQ+と呼ばれるグラデーションを持っていながらも、身体的な差異を内包している。たとえば生殖行為をはじめ、生理の有無、平均寿命の長短は、セクシュアリティとして明確に異なる特徴である。

 また19世紀末にE・デュルケームが『自殺論』で言及しているように、国や地域をほとんど問わず、自殺率は男性の方が女性よりも高く、その差は大きい。

 ただ、このような性差は、複雑に社会的・文化的な機能が分化した現代社会では、それほど重要な差異ではない、と考えることもできる。仕事や文化的な表現の上では、過去に比べれば、男性と女性の性差は縮減される方向に向かっているだろう。

女性が男性を演じる
男形すら許容する伝統芸能

 明治の演劇改良運動の中で歌舞伎座が出来た頃には、女形を廃止し、女優を出演させるべきという議論も存在していた。江戸時代の初期から、歌舞伎の芸能の中心には女形の役者たちの妖艶な演技があったが、近代化が進行するにつれて「土俗的」「封建的」という批判を受けたのだ。

 能の世界ではすでに女性能楽師が定着しているが、近年でも山田洋次の演出で寺島しのぶが歌舞伎の舞台に上がっているように、歌舞伎で女性役者が定着する可能性も高い。特に人気を集める役者の娘を、大人になった後も、歌舞伎の舞台に立つ姿を見たいと思う人々は多いと思う。

 歌舞伎の舞台に女性の役者が上がるようになったとき、男性が演じる女形の存在は、舞台の上でどのようなものとして映るだろうか。歌舞伎に限らず、相撲もまた女性を土俵に上げることを禁じているが、古来、日本には女相撲が存在している。

 歌舞伎が歴史的に有してきた自由さを考慮すれば、女形に限らず、宝塚のように女性が男性を演じる「男形」も一般化して、文化的な深みを増すかも知れない。歌舞伎は多様な可能性を秘めた、器の大きな伝統芸能である。