伝統芸能を極め、人間国宝となることは、伝統文化の庇護者であり、日本古来の祭祀を継承し、後世に伝える役割を担った「器=メディア」としての天皇の存在に近付くことを意味する。

 天皇家の祖神・天照大御神を祀る伊勢神宮で、20年に一度、隣接地に社殿を新しく作り直し、神体を遷す行事が執り行われるのは、仕来りだからという理由だけではない。

 社殿の建築技術や「遷御の儀」などの作法や、装束や供え物などを作る職人の技術を、後世に伝え、継承する意味もある。天皇もまた祭祀を執り行うことで、日本の伝統を伝え、継承させる役割を担っている。

個を犠牲にする天皇に
共産党員の中野重治は心を痛めた

 作家の中野重治は、代表作の1つである「五勺の酒」で、老いた中学校の校長の独白を通して、天皇について次のように述べている。

《だいたい僕は天皇個人に同情を持っているのだ。原因はいろいろにある。しかし気の毒という感じが常に先立っている。〈中略〉

 あそこには家庭がない。家族もない。どこまで行っても政治的表現としてほかそれがないのだ。ほんとうに気の毒だ。羞恥を失ったものとしてしか行動できぬこと、これが彼らの最大のかなしみだ。個人が絶対に個人としてありえぬ。つまり全体主義が個を純粋に犠牲にした最も純粋な場合だ。どこに、おれは神でないと宣言せねばならぬほど蹂躙された個があっただろう。〈中略〉

 個として彼らを解放せよ。僕は、日本共産党が、天皇で窒息している彼の個にどこまで同情するか、天皇の天皇制からの解放にどれだけ肉感的に同情と責任とを持つか具体的に知りたいと思うのだ。〈中略〉

 新聞が書くようにこの人は底ぬけに善良なのだ。善良、女性的、そうなのだ。声も甲高い。そして早くちだ。そして右ひだり顔を振って見さかいなしに挨拶する。愛敬を振りまくのではない。そんな手くだのあるものではない。何かを得ようとて媚びてるのでは決してないのだ。〈中略〉

 天皇制廃止は実践道徳の問題だ。天皇を鼻であしらうような人間がふえればふえるほど、天皇制が長生きするだろうことを考えてもらいたいのだ。そんなものがもし若いものの間でふえたらどんなことになるだろうか。》(中野重治「五勺の酒」『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫)